サウスポーのハムスター

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記号

言葉は世界をどう認識するかに作用している。
言葉によって切り分けられた境界で、世界を捉えようとする力学がある。

言葉は記号の一種である。

絵を描くとどれだけ自分が記号に引っ張られて、世界を見ているかが分かる。
記号に引っ張られすぎて、目の前の「そのもの」を見れなくなる。

仕事をしていると出くわす「ロール」という言葉も厄介な記号のように感じる。
「エンジニア」や「デザイナー」のような、ただの記号によって生まれた認識から、知らぬ間に自分で制限を増やしていたり、思考が引っ張られたり、何かに執着している状態も生まれる。

「越境」という言葉も正直好きではない。
越えるもなにも、それらは元々別に分かれているものでもなんでもなく、わざわざ言葉で線を引いて境界を作ってから越えようとしているのが変だなと感じることもある。


記号を剥がして、「そのもの」を見れた先に固定的な実体があるのかというと、それもまた違うように感じる。
固定的な実体ではなく、流動的な状態がある。
世界に不変はなく、無常であり、目の前の世界は常に移ろっている。

全てが移ろいゆく中で、目の前の瞬間はこれっきり、もう二度と再構成されることはないと腹落ちしている時にしか、有限性を感じられない。
有限性を感じられるということは、ありがたみを感じられるということ。
それが有ることの難しさを感じられるから、「有り難み」である。


他者に対して「ダメな人」などと評価したくない。
土俵によって、求められている目的によって、ダメな状態はあるが、別にダメな人ではない。
「〇〇な人」というレッテルを貼りたくない。「〇〇な状態」と捉えたい。

自分に対して、固定的な記号を埋め込みたくない。
記号を「持つ」ことを、アイデンティティにしたくない。
記号は記号でしかない。


記号化した何かを「持つ」という考え方が、固定的な物の見方だよなと感じる。
その時々の状態が、ただその時々にあるだけと考えたい。


デザイナーだからデザインをする訳ではない。
その時、デザインをしている状態があるだけ。

エンジニアだからエンジニアリングをする訳ではない。
その時、エンジニアリングをしている状態があるだけ。

釣り人だから釣りをする訳ではない。
その時、釣りをしている状態があるだけ。

そうじゃない時はその時々で、別の状態があるだけ。